山からの水のこと
目次
1.
大田原地区在住のヨコヤマです。
今年も畑の小麦が収穫できました。
春に予定通りの追肥ができなかったので心配していましたが、例年どおりの収穫になったようでほっとひと安心。
りんごや玄米などをつかって酵母をおこし、妻と娘がパンを焼いてくれました。自家製のかたくて玄(くろ)いパンは、噛むほどに素朴な味わいがあります。
夏野菜をたっぷりのせたピザも焼いて、家族で楽しい食卓を囲みました。
2.
さて、お盆を過ぎてもまだまだ暑い日々が続いています。
そんな日にも、ここ大田原の水道からは、金属の蛇口がしっとりと結露するほどの、ひんやりと冷たい水が流れ出します。毎日の暮らしを支えてくれる山からの水。
今回は、そんな大田原地区の水のことを書こうと思います。
主だった河川のない、山の上の大田原地区は、水の確保に古くから苦心してきた地域でもあります。
かつては小さな沢の水や、山のあちこちの湧き水に頼ったり、井戸の水を使った暮らしが営まれてきました。
やがて、市営の簡易水道が整備され、地区の一つ向こうの谷筋からひいた沢の水が地域をうるおすようになりました。
山から引かれた水は、飲み干せばすっと喉をとおり、料理に使っても、お茶やコーヒーを淹れても素直に味を引き出してくれます。
農作業の合間には水筒の水で喉をうるおし、旅先でも自宅の水が懐かしくなるような、心のよりどころのような気がしています。
3.
子どもたちの夏休み。息子が、自由研究で水道の水源をたどってみたいというので、一緒に山に入ってみました。
雨上がりの山の緑はしっとりと光り、沢の流れの音が耳にここちよく響きます。
ときどき熊よけの爆竹を鳴らしながら、時間のゆるすかぎり沢すじをたどります。
大きな杉の木の間からさす午後の光が低くなってきました。
沢の水はまだまだ先の方、山の奥から流れてきます。
無理をしないように、適当なところで引き返しましたが、ふだん使っている水の元の流れに立ち合えて、息子とふたり、なんだか満ち足りた気持ちになった日でした。
4.
こうやって地元の水を使えるというのは、思えばとても幸運なことだと思います。
わたしの本棚の、「公害原論 合本」(宇井純著、亜紀書房、1988年)でも、国内外でさまざまに水が汚染されてきた事例が紹介されています。最近では、各地でのPFAS(有機フッ素化合物)による汚染が深刻化しています。
費用の観点では、千曲市をふくめた地域全体で水道施設の維持費をまかなうため、今後の水道事業の広域化や統合が検討されているようです。
大田原地区の水道も、将来的には設備を維持することが難しくなっていくかもしれません。
その昔、山里の生活を支えていた湧き水や井戸水は、山林の環境変化によって、飲み水には適さなくなってきています。
世界を見渡せば、清潔な水の確保がいまだ大きな課題となっている地域も数多くあります。
おいしい山の水を当りまえのように使えるここでの暮らしがどれほどありがたいものか実感しつつ、一方で、質の良い水がすべての人に行きわたることは、費用対効果を超えた普遍的な権利として保障される必要があると感じます。
これから先の水と暮らしの関わりについて、思いをめぐらす夏になっています。
この記事を書いた人:移住者ライター ヨコヤマタケオ
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